Narah #3 「大公園(ソウルランド) その3」

 わたしは走り続ける。ナレを追って。

ナレは赤い月に照らされた空を飛んでいく。

「ナレ速いよぉ…。」

わたしは思わず泣きごとを言う。

それに対してナレは鬼軍曹よろしく暴言を吐く。

「走れクソXXXあんたそれでも勇者なんでしょ

そんなこと言われても、異世界で疲れた身体に鞭打って走っている。

少しでいいから休みたい。

できることなら抜け出したい…。

しかしナレはどんどんと先へ進んでいってしまう。

「あんたの心一つでこの世界を生かすも殺すもできるんだだから走って

もう何も考えることはできない。

ただ走るだけだ。


 すると遊園地が見えてきた。

さらに近づいてみると出入口が草は覆われ、さび付いたゲートがその寂しさを増幅させるように立っていた。


 ゲートのドアを押して入っていく。

ギギィという大きな音をたててゲートは開いた。


 誰もいない遊園地ほど怖いものはない。

真っ暗な空の下、ジェットコースターが、観覧車が、赤い月明りに照らされていた。

わたしはしばしその光景に見とれ、周りを見渡していた。

観覧車は、そしてジェットコースターは、フリーフォールは、きっといくらか前までは夢の施設だったのじゃないか。

わたしはそう思った。

 

 夢があせてしまうほどこの世界の人の心はすさんだのか。あるいはこの世界がすさんだからこの夢はあせたのか。


 わたしにはわからなかった。

ただ荒れ果ててしまった世界という現実が目の前に差し迫っている。そのことだけが現実だった。


 なぜ夢を提供し続けてくれた人たちの心の中がここまで荒んでしまったのか。

わたしにはどうしても理由を見つけ出すことができなかった。

 

 わたしの心はまたもこもことした何かがこみあげてきて、わたしは小さくため息をついた。


「なにやってんのクソ勇者早く来なさいよXX

そんな感傷に浸っているとナレが舞い戻ってきた。

「クソ勇者っていわないでよ。」

わたしはまた、ため息をついた。

「クソだからクソっていってんだろXX

相変わらずナレはヨクを言ってくる。

彼女のヨクはもうどうにもならないのだろう。

なんかわたしの中で諦めがついた。


「ここがソウルランド。昔っていっても年くらい前までは人もいっぱいいて、あたしたちがよく訪ねてくれた人にお世話をしていたんだ。でも「泥棒」のやつらが熊の姫をさらって、檀君さまを殺した後には誰も来なくなってね…。」

ナレはとても淋しそうな顔をしていた。

「あたし、ここで将来働きたいって思って、おじいちゃんにお願いしてここに引っ越してきたんだ。でもそのあとすぐにあんなことが起きて。あたしはただこの遊園地で、夢を作る仕事をしたいって思っているだけなんだ。」

ナレの瞳から涙が零れ落ちた。

「あ、あんた見たでしょこ、これは…違うんだからファックあんたなんて死んじゃえばいいのよ

何とも典型的なツンデレだった。いや、ヨクデレともいうのだろうか。


 とにかくナレは泣いた。

ナレの夢はソウルランドで夢を作ること。それすら叶わないということにわたしは心に穴が開くような気分だった。

そしてナレは自分自身の恥ずかしさを隠すかのように先へと進んでいってしまった。

「ナレ、待ってよ

その声も聞こえないほど。


 なんとかナレを追って向かうと、小さな売店があった。

そしてその前でナレは待っていた。

「クソ遅いじゃない鈍間が。バカ」

ナレは売店の前で腕を組み、身体を持たれかけて立っていた。

相変わらず彼女は口汚くわたしを罵った。

「まぁそんなに罵りなさんな。」

中からしわがれた男性の声が聞こえる。

「おじいちゃん…。」

「客人を罵ってはいかん。丁重に。」

おじいさんらしいひとの声を聴いて、ナレはおとなしくなった。

 

 そしておじいさんは中から出てきた。

「ああ、よくいらっしゃったね。話はミルから聞いておるよ。」

おじいさんはそう言った。確かに腰は曲がっているが、ミルとは違い、とても優しそうな声、そして風貌だった。

「さぁ入って入って。ナレ、何か飲み物でも持ってきなさい。」

ナレはお辞儀をしてどこかへと飛んでいった。

「狭くて悪いね。まぁゆっくりしていってくれ。」


 ナレのおじいさん、金育範さんはわたしを奥に通した後、ゆっくりと入ってきた。

「ちょっと飲み物をナレに持ってきてもらっておる。わしには飲み物をもらってくるのには遠くての。」

狭いながらにも快適な空間だった。

どこから持ってきたのかオンドルのような、メラニウムまで張られている。

そしてキッチンがあり、冷蔵庫があった。


「あんた、日本から来たんだっての。」

だしぬけに、キセルに火をつけて聞いてきた。

わたしは慌てて「ええそうです」と取りつけたかのように言った。

「本当はそんな外国人に守られているようじゃいかんのじゃが…仕方がないわい。」

やはりおじいさんも悲しそうな顔をしていた。

 

 自分自身の世界が崩壊に近づくとき、人々は意外と気づかないものだ。

まるで冷水から火を徐々にかけられ、熱くなってもその温度に慣れて出てこられないカエルの様だった。

あまりの苦しさにあきらめてしまっているのかもしれない。そして唯一の希望がわたしなのかもしれない。

なんだかわたしも胸が苦しくなってきた。


「この世界はどうじゃい

おじいさんはキセルを嗜みながら、その煙を吐いて言った。

「どう、といいますと…。」

わたしはどう答えたらいいのかわから刈った。

「いや、日本から来た人にとって、この暗い世界はどう感じるのかと思っての。」

わたしは言葉に窮してしまった。

人の国をいい、悪いで判断できるほどわたしには強烈な過去はない。

それに比較対象などがなければ答えられない。

…そう、わたしの心は空き缶と同じなのだから。

「…わからないです。」

わたしが言えた言葉は、ただこの一言だった。

「そうか…」

おじいさんはキセルの中の吸い殻を吸い殻入れにピッと入れ、キセルの準備を始めた。

その姿はただキセルを掃除しているだけなのだが、どこか近づきがたいものがあった。

「わしたちの話を少ししようか。」


 キセルを詰め替えると、そう言ってまた火をつけた。

「世界ってのは盗人が幅を利かせる世界だ、わしがむかし、聞いた言葉じゃ。わしらの世界を盗んだ日本も、そして植民地も、今の自分勝手な世界も、みんなそうだといって居る。だがな、それは人間じゃないんじゃ。」

わたしも政経学部に通っていると自慢する先輩の政治談議に巻き込まれ、こんな話を聞いたことがある。

しかしわたしもどこか信じることができなかった。

おじいさんは話を続ける。

「檀君さまが世界を開いたとき、弘益人間、とおっしゃった。広く社会の為に、という言葉じゃ。」

おじいさんはキセルをおいしそうに味わっている。

「だがの、それは理想に過ぎなかった。樹や川、食事を求めて人は移動を繰り返し、そのたびに人を傷つけた。わしらの国も同じじゃ。満州に討伐に行ったかと思えば、大陸に頭を下げなければならんくなった。」

おじいさんはあくまで、昔話をするかのような優しい話口だった。

「そのたびにこのナラもあれていったりもしたが、その都度元に戻せるだけの力は最近まで持っていたはずじゃ。そうそう、朴正煕大統領の時代は夢が広がるような世界じゃったの。それと数年前。」

 

 朴正煕大統領を知らないわたしに、少し補足的に説明をしてくれた。

「朴正煕大統領のころは確かに思想弾圧とか、政敵の粛清なんかがあったが、活気あふれていた感じがするわい。わしも民主化を夢見たし、そしていまから30年くらい前に民主化するって聞いたときにはこの世界もお祭り騒ぎじゃった。」

 おじいさんは懐かしそうに遠くを見つめるような、細い目をしていた。

「じゃがの、何でかは知らんのだがここ最近、急にさむざむとした何かが襲ってくるようになった。そしてそこに「泥棒」がやってくるようになったんじゃ。」


 なんとなく話が壮大で複雑で、わたしの頭では整理がつかない感じがした。

夢が空虚になる。そんなことは果たしてあるのだろうか。

わたしは夢が広がるか、もしくは夢が果てたことはある。

しかし夢が空しくなったことはなかった。

 

 結婚したい夢も、将来何になりたいかも、なんとなくある。

そして大学にまずは入りたい。そんな思いもあった。

しかしそれが空虚になってしまうという。

でも思えばわたしも自分の夢なんて信じられていない。

自分の夢もお金や環境の変化でなくなってしまいそうだ。


「あたしも夢が壊された人間だわ。」

なにやら白いペットボトルを下げてナレは帰ってきた。

ずっと立ち聞きしていたようだった。

外はいつの間にか雨が降り始めたようだった。


「すべては人間の貧しさのせいよ。学校のせいよ

まるでナレの言葉は慟哭だった。

話せば話すほど歎きに変わっていく。


「人間を悪く言いなさんな。ナレや。」

おじいさんはナレをなだめる。しかしナレは叫ぶかのように自身の状況を訴えた。

「あたしの夢を返してここで夢を作りたいって夢を返して返せ

「心の住人が夢を失っていることに人間は何も気づかないでも人間の滅亡なんて言うこともできないあたしたちの気持ちは何だって言うの


 わたしに返せる言葉はなかった。心の世界の人間が夢を失っている。

人間は食事をすると同時に、夢や目標がなければ生きていけない。

そしてその心の世界の人間の作る夢を見て、心をいやし、明日へとつなげていく。


 一方で心の世界の人間はわたしたちの生活を見てきっと癒しを得ているのだろう。

しかしそのバランスが崩れてしまえばどちらかが不平等な感じをしてしまうのは当然といえば当然だった。

心と身体は一つのようで、実は二つだと思う。心理学とかはわからないけれど。

でもきっとそうだ。感覚として。

「クソ勇者、もう、こんな姿を見せちゃったからもういいや。あたしの夢を叶えてほしいよ。ここで、また夢を作る仕事をしたいって。もう、あんたしか希望なんてないの。」

ナレはわたしの胸に飛び込んできた。

「さっきヨクばっかり言ってごめんね…。あんたのこと、あたし信じられなかった。外国人がどうっていうより、あんたも空虚に巻き込まれそうで。でもよく考えたらあんたしかいないんだって。だから…だから…。」


 わたしを信じるしかないようだった。

でもわたしの心も人間の世界の人間と一緒で、やはり空虚だった。

「はてしない物語」でファンジーエンを襲ったのは空虚だった。

そしてこの世界を襲うのも「泥棒」ではなく、空虚だったのかもしれない。

「泥棒」は空虚に乗っかった何かのような気がしてきた。

しかしもし空虚が「泥棒」を引き寄せたなら、その空虚にわたしはどう立ち向かえというのだろう。

熊の姫を取り戻して空虚は消えるのだろうか。

わたしの心の中の空虚はまだずっと残っているのに。

でもなぜ空虚なのだろう。そこから考えていけばよさそうな気がした。

「でもなんでみな、空虚な気分になってしまったんでしょうね。」

ナレとおじいさんはしばらく考えてくれた。そして

「ナレや、南山のミョンダンの家にいけばいいんじゃないか

「ミルの実家

ナレはわたしの胸から顔を上げて言う。

「ああ。ミルのお母さんならわかるかもしれないの。」

「だけどあそこって…。」

ナレは体を縮ませて言った。

「ああ、川の向うだ。」

川の向こうには何があるのだろう。

元いた世界ではどうやら明洞やら世宗路のような観光地が集まっているが。

「川の向こうには何があるのですか。」

「…『泥棒』の本拠地だ。」

おじさんはキセルを口から外し、顔を落とした。

わたしはその言葉に、身を引き締めなければいけないことを悟った。

「おじいちゃん、でもあたし向こうに行くのに二人は怖すぎます。」

ナレも珍しく恐怖の表情を見せた。

しかしおじいさんは大丈夫だ、といわんばかりの顔をして、わたしたちの顔を見た。

「舎堂に行きなされ。舎堂にも一人冒険者がいると聞いたことがある。」

「でも大丈夫なんですか、その人は。」

ある意味ナレの反応は当然といえば当然の反応だった。

でもおじいさんの言葉は不思議と信じてもよさそうな感じがした。

「わかりました。舎堂ですね。確か地下鉄の線路をまっすぐ行けば行けますよね!?

わたしは立ち上がって聞いた。


 しかしおじいさんは逆に不安そうな表情をした。

「いや、おまえさん一人で行かせるのはやはり心配じゃ。いくら勇者とて、見習いじゃしの。」

そしておじいさんはナレの顔をみた。

「あたし?!

ナレは自分のことを指した。

「そうじゃ。ナレや、おまえさん、勇者さまに失礼を働いたようじゃの。」

「…あたしは…ク、勇者さまを育てようと思って…」

「いまクソ勇者っていおうとしたじゃろ

おじいさんはキセルを置いてすっくと立ち上がった。

「その口がいかんのじゃおまえさんは何もしないくせに勇者さまにクソと言うかい、え

おじいさんが心配になった。特に頭の血管が。

「おじいちゃん、わかったよ…。行ってきます。」

ナレは少しうんざりした顔をした。

するとおじいさんは顔をほころばせて笑った。

「それでこそわしの可愛い孫じゃ。」

よくわからない展開だが、きっと金家はこうなんだろう。

「勇者さま、預かりものがあるじゃろ。」

おじいさんはそういって、荷物を渡すように言う。

「ええ」

わたしは荷物を渡す。絶対に開けるな、そう言われた荷物だ。

そして開けると、キラキラと月の光を受けて、すこし妖し気に、でも美しく光る水晶が入っていた。

「この水晶はの、きちんとした人がきちんと扱えばとてもいいものなんじゃ。」

おじいさんはまた、水晶のひみつについて話してくれた。

「この水晶はの、よく服従の水晶だと言われるが実際には違う。これは相手を落ち着かせるものじゃ。相手を落ち着かせて、正しいことを言えば相手は黙る。ただそれだけのことじゃ。この光が相手をいやすのじゃ。」

 落ち着かせるための水晶…。そのキラキラが相手をいやし、そして落ち着かせるのだという。

「ちょっと待っておれ。お前さんにお礼にいいものをやろう。」

おじいさんはその水晶を、また不思議な巻物の上に置くと、上からその水晶をゆっくりと触る。

すると水晶はごつごつした水晶の形から変化し、解けていき、そして板のようになった。

わたしとナレはその姿をまじまじと見た。

「おじいちゃんの魔法、初めて見た…。」

ナレもおじいさんの魔法を使う姿は初めて見たのだそう。

ナレは興奮していた。

そして取っ手が出てきたかと思うと、形の変化は収まった。

「ほれ。これをやる。」


 渡してきたのはキラキラした水晶でできた盾だった。

「これを突きつければ敵はおとなしくなる。ただしその敵が暴れていたりして話を聞けそうもないときにだけ使える。普段はまぁ、そんじゃそこらの盾よりかは強いから適宜使ってくれ。」

おじいさんはわたしにそれを持たせる。

重いのかと思ったが、実際には羽のように軽かった。

「重さはお前さんのこころを表している。軽く感じるのであったら健康な証拠だ。どんどん戦いなさい。」

でもミルはなぜわたしにこんなお使いを頼んだのだろうか。

「あの子、意外にめんどくさがりだから。」

ナレは笑っていた。

「もしかしてわたしのこと、なんだかんだ言って信じられなかったのかな。」

わたしは少しぼやいた。

「そんなことないはずよ。ミルは信じることができる人だから。わたしたちよりもずっと、しっかりしている。弘く人間に益すること、それだけは忘れないでいようっていっつも悩んでいるからね。」

ナレはそういって、ピッと白い飲み物(シッケというらしい)を注ぎに行った。


シッケの味はわたしを包んでくれた。


そしてその日の夜はおじいさんがかけてくれた結界のもと、シャワーを浴びて泊まり、翌日ナレと一緒に家を出た。


そしてわたしはナレの翼に乗って、舎堂の街へと向かった。

ナレの翼は強く、大きく羽ばたく。

空から見るナラは、どこか少しだけ美しく見えた。

 

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